Day25 C4(7400m)→頂上(8163m)
緊張か高揚か3時間しか寝られず。寝ている時に酸素マスクからよだれが垂れ、ダウンのファスナー部分につららができてる。12時30分に出発。今までと違い頂上アタックは各1人ずつシェルパが付く。私には世界トップ10に入る実力と言われる27歳のシェルパがつく。他の隊はみんなで行動してる事が多く、動きが遅いので広い場所ではどんどん抜いていく。あの巨漢の女性もここで抜いた。酸素パワー強い。道が狭くなったところで抜けなくなったところで、前に合わせ鈍足スピードに。時刻は午前3時。
8000m付近で風と雪が出てきて汗で冷えた身体を容赦なく襲う。手と足の指が痛すぎて、凍傷にならないよう止まっている間はふたらすら動かす。そうこうしてるうちに頂上が近くまで見える。出発前は60人ぐらい前にいたが、頂上近くになったらその数は10人ほどになったがここで誤算が生じる。まだ暗いのだ。日の出まで1時間はあるが、あと数十分で着いてしまう。待つスペースや待つ余裕もない。休憩する場所もないし、ハイドレーションも凍って飲まず食わずにきた。仕方が無く暗いまま頂上に行ったが人1人が通れる道、座れるスペースしかなく、余韻無し。頂上から降りる道はギリギリ2人しか通れるスペースしかなく、下り側は崖で落ちたら即死。ロープは頂上待ちの客で占められてる為、なかなかセルフビレイしづらくそこをシェルパは自分のハーネスと私を繋げて歩く。ん?シェルパが落ちたら、終わりだし俺が落ちてもシェルパが止められないだろう。さすがに33年生きてきて一番ヤバすぎる状況だったので、シェルパからロープを外し、自分でロープに無理矢理、確保取りながら降りていった。
(頂上付近の渋滞)
しかし、痺れた30分だった。二度と行きたくない。結局頂上は4時半ぐらいに着いて、C4は7時ぐらいに着。ここでみんなを待って10時ぐらいにC4出て14時ぐらいにC2に着。今日はここで宿泊。結局みんな登頂できた。
(酸素マスクを付けた私)
後日談
・単独日本人Kさん、ベテランガイドSさんのチーム全員登頂。
・頂上から降りていく際、右足の親指にかけて電流が走ったあと痺れが起き日本に帰った後もまだ治らない
・日本出発時体重71キロ→帰国時66キロ
Day24 C3(6800m)→C4(7400m)
C3→C4。ひたすら急傾斜をユマール を使って登っていく。酸素を使ってるから楽だ。100人弱はいるだろうか。C4に着いたら空が青黒い。上から地平線に目を向けると段々と青くなっていく様は地球が丸く1番上にいる事を感じさせる。グランドキャニオン、北岳の夕方の雲海以来の感動の景色だ。ずっと見ていても飽きなかった。明日は7割を占める複数の中国隊を避ける為、午前1時出発になった。テントは3人だが気にならない。18時には寝袋に入ったが、高揚と緊張で数時間しか寝れなかった。
(空が宇宙に近い)
(登りの行列)
Day23 C2(6300m)→C3(6800m)
今日はC2→C3。酸素は革命だった。息切れが無くなり、歩くスピードも早くなった。これならこのままC4まで行けると思った。ユマール を使う場面では大混雑が起き、下りのシェルパが業を煮やしてロープを使わず下山したところこけて、10mほど落ちてロープに捕まり事無きを得た場面があった。昼頃、C3に着いてダラダラ。酸素を使ったから全く疲れなかった。ちなみに前述の巨漢の女性は今日も休み休み頑張っていた。ここまで来たら頑張って欲しい
Day21 BC4800m→C1(5600m)
朝8時にBC出発して、2時にC1到着。C1までの道のりは3度目だが、特に慣れるわけもなく相変わらずきつい。今日から10月2日まで晴れ予報なので、BCにいる隊の8割近くが今日出発していて、明日から混雑が予想される。顔なじみになった日本人のKさん、日本人2人を連れているベテランガイドSさんもこの日出発で途中会って雑談する。ちなみにこのKさんはシェルパ1人のかなり値段が安いコースで行ってるらしく、C3(6800m)を深夜出発しC4(7400m)を素通りし頂上(8100m)まで行くらしい。かなりきついコースだ。このまま天気が荒れずにいってほしい